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re:無駄合談義について

 投稿者:桃燈  投稿日:2013年 5月26日(日)02時29分54秒
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  なんというか、一部表現がおかしく、誤解を生んでいるようなので、その点お詫び申し上げます。
どうにも、うまく伝える表現を作るのは難しいですね。

まずはTETSUさんが求める、ポイントを短く絞ったものを作る努力をしてみます。

私の意見の要旨は

シンプルなルールから全ての問題の結論を演繹できるようにするべき

といったところでしょう。
無駄合に関して言いますと、

有効・無駄という判断はシンプルな定義から一義的に導くことができるよう定義づけすべき

ということになります。
またそのような定義は作成可能だとも思っています。

以下は細かく議論をしていきます。

この件に関しては、どうにも「無駄合は人によって解釈が異なり、一義的な定義づけは不可能である」といった形の反論が多いように思います。
理論的にどうあっても有効か無駄かの判定ができない合駒が実在するならともかく、人によって判断枠組みが違うといったレベルの問題は、全詰連なりで定義づけした後に評価の問題と考えることもできようかと思います。
個人的には曖昧な部分を残してしまって、その部分にかかる問題が出てきたときに毎度議論するとか、曖昧な部分に触れないように創作すべしとか言うよりも、規約として明確にしたうえで、この作品の評価をどうするか、という話題にしたほうがいいと思います。
規約を悪用するような作品が世に出てきても、単純に評価しなければ良い話で、完全性の段階で議論を提起せざるを得ないような現状のほうが問題あるといえないのでしょうか?

私はこのような考え方を持っていますので、解答に当たって労力が変わらないのであるならば、広く創作者を救済するようなルールで構わないだろうと思っています。
詰将棋という文化への参入という観点から見れば、解答者にとって見れば一義的に解答を導き出せることが望ましいですし、創作者にとって見れば創作の難易度が下がるほうが良いでしょう。

無駄合に関していいますと、その合駒が無駄かどうかを解答者が判断するためには、合駒をする場合としない場合の手順をそれぞれ読まなくてはならないことには変わりがなく、理論的には読む必要のあるノード数に大きな違いが生まれることはないはずだと思います。
ですので、明確にルールを定めてそれに従って演繹すれば無駄合の判定ができるようになるだけで規約として十分だと思います。
そして、個人的には広く無駄合を認める規約にすることで完全作を増やし、創作者のハードルを下げると共に、評価の段階で一定の絞りをかければ十分だろうというのが主張です。


次に、TETSUさん「提唱」という表現は確かにまずかったと思いますので、その点は訂正しますが、その後の解の一意性に関しては異議があります。
というのも、TETSUさんはキズですらないという評価の「変同」について、私はキズという評価ではあるものの、完全作として取り扱うという点については共通しているからです。
つまり、変同について許容すべきと考えている範囲こそ大きく違いますが、私の言う解の一意性とTETSUさんの言う解は一意に決まるとは限らないという意見は、本質において同じものを別の角度から表現しているに過ぎないと思います。


なお、ひとつ明確にしてほしいと思う用語法があります。

私は「キズ」という用語は「作品の評価について負の評価がなされるものとして定型的に考えられているもの」という認識でいます。
つまり、「キズ」がいかにたくさん有ったとしても、またそれがどれだけ作品価値を低下させるほど重大であっても、作品として「完全かどうか」とは無関係だと思っているのです。
この点、「キズ」という表現の中に、重大であれば「不完全」とまで評価する可能性を含めて使っている人が多いと思います。
このように「不完全」と「キズ」の間に連続性を認める用語法で運用しますと、キズが軽いか重いかという判断を創作時にせざるを得なくなることがあり、自作の完全性について大いに悩んだことがあります(そのときは迂回手順ってどう判断されるのかで悩みました)。
TETSUさんも完全性という語とキズという語を並べており、連続性を認めているのかと思います。
この点、完全性とキズは明確に区別すべきではないのでしょうか?


次に変同に関するTETSUさんの意見です。
変同駒余りも解答時に認めるべきであるという意見ですが、その理由が複雑で分かりにくいというのが私の直感と反しています。
というのも、変化別詰との関係で変同を広く認めると却って解答時に困難を多くもたらすのではないかという感覚が私にはあるからです。
私が詰将棋を解いているとき、手数が明記されていない場合などは特にそうなのですが、変同らしき順を見つけたときは、変別に陥っていないかをチェックすることになります。
特に解図能力に乏しい私のような場合には、この段階で非常に労力を使います。
変同駒余りを本手順としないというルールが存在するほうが、変化の割り切りをする際に労力を減らすという意義があると思います。
また、同様の理由で変同は「キズ」と判定して評価を落とすような枠組みのほうが、解答をするうえでは分かりやすいと思っています。
この点、「規約に組み込むと複雑になって分かりにくい」というTETSUさんの意見には納得がいきません。
変別そのものを(創作時に)排除すべきという意見なら納得できますが、変別と切り離して変同を考えたとき、変同駒余りを本手順としないことや変同をキズと評価することは、解答において複雑さを「減らす」ものではないでしょうか?


次に解答欄魔さんへの返事をします。

まず最初に、私はフェアリーは個人的な好き嫌いもあってほとんどやらないので、あまり知らないことを前提にしてください。
解答欄魔さんが提示したフェアリーの4つの枠組みの定義が正しいことを前提にしますと、フェアリーの「かしこ詰」と「詰将棋」は同じものではありません。
余詰めを不完全としている「詰将棋」は明らかに攻め方任意です。

詰将棋がフェアリーの一分野というのも個人的にはおかしな議論だと思っています。
詰将棋のほうが歴史的に先行しているのはおそらく明白だと思いますので、フェアリーがローカルルールの収斂場になっているという表現のほうが適切ではないでしょうか。
ローカルルールが市民権を得て、別の競技・文化に発展することはままありますし、本家となったものを凌駕することもしばしば起きることですが、現状をもって「詰将棋」がフェアリーの一分野に過ぎないという表現をするほどフェアリーが市民権を得ているとは思えません。
却ってフェアリーの立場を危うくする意見ではないでしょうか?(歴史的に後発のものが、いわば成長途中段階で、本家を名乗るような発言は、往々にして反感を買う恐れのある行為であるので、フェアリーを推進している人から見ると傍迷惑になる可能性があります)

最後に、具体的な無駄合の例を出してほしいとのことですが、これも私の意見を前提に考えますと、おかしな話になります。
私は「明確にルールを定めてそれに従って演繹すれば無駄合の判定ができるようになるだけで規約として十分」であるとしていて、「規約として明確にしたうえで、この作品の評価をどうするか、という話題にしたほうがいい」という意見です。
このような議論をする以上、私の言う規約では「無駄かどうか判定できない合駒は存在しない」ということが前提とならなくてはなりません。
従って、判定できない合駒が見つかれば、それは規約として不完全であることの証明になり、またどのような規約であっても判定できない合駒が見つかれば、私の論理が成立しないことの証明になります。
そして、このような検討を経ることなく、これは無駄、アレは有効といった類型論を展開することはおよそナンセンスなのです。
この規約案ではどうなる、あの規約案ではどうなるという話題を出して、イメージをつけやすくするという意味なら分かりますが、概括的なルール論では決着が付かないという意見そのものが私の意見と対立的なので、そのあたりを理解していただけますと幸いです。

個人的には、ルール化に失敗し、類型論に突入せざるを得なくなった時点で、無駄合は分かりにくいという決着にしかならないと思っていますので、分かりやすい規約にすべきという議論から出発するのであれば、ルール化論を先行させて詰めていくべきだと思っています。
 
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