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掛川市の鎌倉街道について

 投稿者:taki3  投稿日:2020年 9月19日(土)11時00分43秒
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  始めまして。今年の4月に東京から掛川市(城北:中宿公園の近所)に移住してきたばかりの新参者です。東海道に興味を持ち勉強を始めたばかりで、「まちもよう」のサイトを見つけました。素晴らしい調査で敬服する次第です。掛川は、旧鎌倉街道、東海道、秋葉街道そして遠信古道(塩の道)と4つの道の由来が有り勉強しがいがあります。塩の道についても勉強してみようかと思っています。「静岡県歴史の道・東海道」などの原本も調査せずに質問するのも失礼かと思いますが、気になった点について質問させて下さい。
天王山掛川城趾に関して、以下の記述があります。
室町時代、駿河の守護大名今川氏が遠江進出を狙い、家臣の朝比奈氏に命じて築城させたのが始まりとされる(1400年代)。この築城に際し、付近の中世以前の東海道は逆川の南に移設されたという。古東海道は、西は大池橋から馬喰橋までの直線とし、その線上に中宿、天王山がある。
しかしながら、藤原秀郷が関東を制覇した平将門を征伐し、将門以下家臣の首を持って上洛、ここ掛川の地(十九首塚)で勅使と会い、後に「血洗川」と呼ばれる川で首を洗って検死を受けたのはそれよりも500年も前の940年です。藤原秀郷が上洛するのに用いたルートは今の東海道に近い南ルートでは無いかと思われますが?その後、北側に鎌倉街道が出来たのでしょうか?南ルートは逆川橋と馬喰橋と二つの渡渉があるので、これを避けたとも考えられますが。
ところで、舟木一夫のFANとのことですが、自分も高校の修学旅行の時に「高校3年生」が大ヒットした直後で、旅行中にみんなで歌ったものです。貴兄とはほぼ同年代かと?
 
 
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